【出産報告】陣痛~出産~入院生活までのストーリー

こんにちは。妻のひろみです。おかげさまで無事9月24日に元気な娘が誕生しました!
退院して数日が経過し、家での暮らしも慣れてきたところです。

私自身、出産に向けて色々な情報をネットで検索したのですが、福島の病院での体験を書いている方が少ないなと感じたので自分の備忘録も兼ねて残したいと思います。

出産当日の私は、予定日を6日過ぎておりました。

さかのぼって21日、寿泉堂綜合病院に妊婦健診へ行きモニタリングテストと内診をしました。赤ちゃんの様子や羊水の量によっては入院しなくてはならなかったのですが、私は問題ないとのことで、もう少し自然に陣痛が来るのを待つことに。

いつもは助産師さんに内診グリグリ(卵膜剥離)してもらっていたのですが、この日は先生にグリグリしてもらいました。明らかに助産師さんとは違う、いつもより強めのグリグリ。助産師さん曰く「先生にグリグリされると陣痛がきやすい人が多い」とのこと。

「経産婦なら数日でくる可能性が高いけど、初産婦だからな~」とのことで、陣痛がこなければ24日にまたモニタリングテストをして赤ちゃんが元気か確認し、26日には陣痛がこなくても入院する流れとなりました。

26日がタイムリミットか、できればその前に自然に陣痛がくると良いな、、もう郡山市でもらった15回の検診の助成の紙も無くなってしまったしと思いつつ、なるようにしかならないので、毎日運動やストレッチしつつ待ちました。

そんな感じで過ごしていた23日深夜、「いつもと違う定期的で寝れないくらいの生理痛のような痛み」を感じました。それまでは、ずっと前駆陣痛はあったものの不規則ですし寝れるくらいの痛みだったので、今回は違うかもと感じました。

21日にグリグリされてからずっとおしるし?のようなものもでているし・・・勘違いじゃないよね?と思いつつしばらく陣痛カウンターを使って様子を見ることに。0時、1時、2時・・・我慢できる程度ではあるものの7~10分間隔で陣痛が続いたので、朝まで待つべきか悩んだのですが、午前3時過ぎに病院に電話してみました。

「一度みてみるので、入院の準備をして来てください」とのことで、寝ていた夫を起こして午前3時半頃、病院へ向かいました。

まずは個室に案内されて、モニタリングで赤ちゃんが元気なことを確認し、子宮口も5センチ開いてるとのことでそのまま入院決定!抗原検査を受けて、陰性が分かるまで待機となり、陰性だったので陣痛室へ移動。

好きに過ごしてくださいと言われて、アロマを塗ってみたりスマホしたりして朝まで過ごしました。朝8時頃、子宮口は6-7センチ開いていて柔らかくて良い感じとのこと。その後、朝8時30頃に朝ご飯を食べました。この間、ずっと我慢できるくらいの陣痛が5分おきくらいに続いていました。陣痛の合間に寝るという話も聞いたことがありましたが、私は寝れず、ウトウトしながらも陣痛で起きるを繰り返していました。

ご飯後、子宮口は良い感じに開いてきているけど、陣痛が弱いとのことで、まず脱水症状予防に点滴をして、担当の先生から「このままダラダラ待つよりも、予定日も過ぎてるし赤ちゃんの体力もあるから促進剤しましょう」と提案されて、促進剤を使うことになりました。

その後、別の若めの男性医師が来て、ハサミでチョキンと破水してもらいました。
その間に、促進剤もスタート。微量からスタートして、モニターで赤ちゃんの心音も確認しながら徐々に増やしていくのだそうです。

ここからが、私に取って我慢できない痛みのスタートでした。「うぅ~」と思わず声がでて、陣痛の間隔も2-3分間隔になりました。メンタル的には問題ありませんでしたが、点滴打たれているしモニタリングしているのでベットに横になっているまま動けないし、陣痛は強くなるし・・・という中で一人で耐えている時間が辛かった。

助産師さんも忙しいのか、ドラマで良くみる付き添ってさすってあげて・・・とかはありませんでした。ナースコール押して呼べばよかったのかもしれませんが、呼んで良いのかも分からず、結局一人で耐えました。泣

これはもう、痛いと思っていると痛くなるばかりだから、痛みを越えて出産できることの感謝を祈ってみようと思い、祈りはじめました。

なかなか妊娠できなくて悩んでいたのに、自分の心の突っかかりがとれたらすんなり妊娠できたこと。
妊娠中に感じた生命の不思議さや神秘さ。
昨年から今年にかけて知り合いの死を経験して感じた、生死について。

そうした出来事全てに感謝して祈っていると不思議と痛みが辛くなくなって・・・感謝の気持ちで涙が出てきました。

そのタイミングで助産師さんがいらして、私の涙を痛みの涙と思ってくれたのか分かりませんが、ようやく分娩室へ移動。その前にトイレに行って膀胱を空にしたのですが、その間1分おきに動けなくなるくらいの痛みがきて、トイレでも何度もうなりました(笑)

分娩室に入ったら、すぐいわゆる出産シーンになっていくかと思いきや、またしばらくそのままの時間が続きました。ここではもう、椅子の背もたれを掴みながら痛い~と叫ぶことしかできず、、、その間に少しずつお産の準備にスタッフが集まり、痛い時にお尻の穴を押さえてもらったら少し楽になりました。

事前に出産の時の息使いを調べたのに全部頭から吹っ飛びますね。助産師さんの「吐いてねー」という指示に従って必死に吐いて、子宮口を見てもらうと、もう「頭が見えてきてる」「産まれるよ」と、いきむモードへチェンジ。

吐いて、吸って、口を閉じていきむ
朝から寝てないし、いきむ力もつかなーと思いながら、必死でいきむ

「痛い」とさすがに叫びましたが、叫ばないで口閉じて踏ん張らないといけないんですよね。しかも目を開けて、おへそを覗き込む姿勢にならないといけませんし。

ラスト、先生が登場されて、子宮口をぐーっと広げるのが一番痛かった。裂けないように伸ばしてくれていたのだそうですが。そんな中、会陰切開をしたような音。そしてようやく午前11:40頃に産まれました。そこから、胎盤だして、縫合して・・・

赤ちゃんを抱っこさせてもらったときは、感動というよりも放心状態で「終わったー」という感じでした。産まれたてはおサルさんみたいというかヨーダみたいでしたが、不細工な表情も愛おしい。その後、分娩台でお昼ご飯を食べて2時間待機した後、車椅子でトイレに行って大部屋へ案内してもらいました。

先生や助産師さんからは、「初めてにしては順調なお産だった」「落ち着いていたし、産道も太かったので経産婦かと思った」と褒めていただきました。分娩所要時間は1時間35分と記載されていて、かなりのスピード出産でした。

高齢出産で心配ではあったので、健康のためにアロエベラやポーレンを取り入れたりしていたのも良かったのだと思います。

続きは②へ